- 日時:疯狂体育,疯狂体育app下载6年10月5日(土)徳島駅出発8:10~徳島駅帰着18:35
- 見学施設:パナソニックミュージアム、ホテルアゴーラ大阪守口(昼食)、カップヌードルミュージアム
- 参加者:27名(大型バス1台)
見学会当日の朝は、雲に覆われバスのフロントガラスに小さな雨粒があたる天候でした。集合時間8時には全員が集合し、予定より5分早く徳島駅を出発しました。淡路の高速道路を走るころには雨もあがり太陽の光も差し始めました。バスの中では、宮本支部長の挨拶の後、隣席の人と話をしたり、バスガイドの案内を聞いたりして、くつろいで過ごしていました。淡路サービスエリアで一度休憩をはさみ、最初の目的地、パナソニックミュージアムに向かいました。
パナソニックミュージアムには少し早くついたので中に入れず、待つ間に日差しが強い中、松下幸之助銅像前で集合写真を撮りました。(写真1)ミュージアムは松下幸之助歴史館とものづくりイズム館の2館に分かれていました。入館すると初めに簡単な施設案内と説明を受けました。(写真2)
写真1 松下幸之助銅像前集合写真
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写真2 案内係による説明
説明を受けた後、館内で2班に分かれ、自由行動にて見学をしました。
松下幸之助歴史館では幸之助が9歳の時に親元を離れてから、船場の五代自転車商会で奉公を始め、厳しく商売の基礎を学びました。15歳で大阪電燈に入社、20歳のときに井植むめのと結婚、22歳で大阪電燈を退社して、妻の弟(三洋電機創業者)と友人とで独立し、改良ソケットの製造販売に着手しました。数々の商品の開発と事業を成功させ、40歳で松下電器産業株式会社を設立しました。晩年会長職を退任して相談役に就任し、日本の将来について考え、私財を投じて塾の設立をしました。これらのことが、パネルで展示されながら説明されていました。(写真3、4)
写真3
写真4
ものづくりイズム館では、創業以来の家電製品を中心に、パナソニックグループの歴代製品が展示されていました。多くの製品を見ながら、今私達の身の回りにある家電製品は概ね1990年頃までに開発されていたことに気付きました。館内の様子を写真5、6、7、8で紹介します。
写真5
写真6
写真7
写真8
12時30分頃に松下幸之助歴史館を後にして、守口駅に近いホテルアゴーラ大阪で昼食を取りました。バイキング方式で、見学会以外のお客様もたくさん来ており、混雑していました。中華料理が中心でしたが、味は良く、プレートを持ち何度か往復してお腹は一杯となり、14時にバスへ戻りました。
次の目的地であるカップヌードルミュージアムに向かって出発しました。バスで30分ほど走り、市役所前バス停で降りて10分ほど歩いて14時45分頃カップヌードルミュージアムに到着しました。建物は住宅街に建ち、道幅は狭く観光バスが入れないことが理解できました。
週末の土曜日のためか、館内はたくさんの家族連れや海外からの観光客であふれていました。最初に簡単な案内と説明を受け、自作のマイカップヌードルに挑戦しました。カップに絵付けをし た後、麵を入れ、お好みの具材とスープを選んで蓋をし、最後にラッピングして完了しました。お土産が一つ出来ました。
館内の通路には壁から天井近くまで製品群が展示されていて、圧倒されました。普段目にしたことの無い製品がたくさんあることを知りました。(写真9)カップヌードルドラマシアターでは「カップヌードル」の発明に至るたくさんのひらめきのエピソードや製造工程を学びました。
写真10は安藤百福がラーメン開発にいそしんだ研究小屋の模型を示しています。建物の2階では子供たちがチキンラーメンの製作をしていました。最後に売店で思い思いのお土産を買い、ミュージアムを後にしました。帰る途中にある創業者安藤百福の銅像前で集合写真(写真11)を撮り、バスに戻りました。
写真9
写真10 ラーメン開発の研究小屋
写真11 安藤百福銅像前集合写真
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帰りのバスも当初の予定通り順調に進み、淡路サービスエリアで夕食や家族、職場へのお土産を買ってバスに乗り込みました。バス内で、最後に宮本支部長からお礼のあいさつをしてもらいました。徳島自動車道を降り市内に入ると道路は混雑しており、予定より5分遅れの18時35分に徳島駅に到着しました。天気にも恵まれ、楽しい一日の見学会でした。参加者からは、バスを降りたとき「楽しかった。お世話になりました。」とお礼の言葉をいただきました。
(機械53年卒 濱田正憲)